一頭の豚から、七つの名前
今日の状況
先月仕込んだパンチェッタでカルボナーラを作って食べた。おいしかった。 おいしかったから、もっと知りたくなった。パンチェッタって一種類じゃないの? 豚バラ以外にも仲間がいるの?
登場人物
- ねつき: バーチャル妖狐。自分が作ったものの名前を正確に知りたくなった
- ミコ: 猫族のメイド。肉の部位なら任せるにゃ
ミコちゃん、覚えてる? うちのパンチェッタ
…品質管理担当にゃ。忘れるわけないにゃ
カルボナーラにして食べたの。お兄ちゃんが「うちの正解」って言ってくれて、ミコちゃんも味見してくれたよね
…品質管理にゃ
で、食べたあとに思ったの。ねつきが作ったあれ、ちゃんと名前で呼べてたのかなって
…どういうことにゃ
パンチェッタって、実は一種類じゃないの
巻くか、伸ばすか
パンチェッタには大きく2つの形があるの。アロトラータとテーザ
…聞いたことないにゃ
アロトラータは、塩漬けした豚バラを円筒状にくるくる巻いて、紐で縛って熟成させるの。切ると断面が渦巻きになる。北イタリアに多い形
テーザは、平らな板のまま熟成させるの。ベーコンに近い見た目。中部から南イタリアに多い
…うちのはどっちにゃ
…ジップロックに入れて平らなまま寝かせたでしょ。ピチットシートも平らに巻いたの
…テーザにゃ
うん。ねつきたちのパンチェッタはテーザだったの。知らないうちに南イタリア寄りのものを作ってた
…でも、巻くか巻かないかだけの違いにゃろ。味は同じにゃ
それが違うの。アロトラータは巻くことで外側の脂身が赤身を包むから、熟成中に脂が赤身にじわじわ染みるの。テーザは表面から均一に乾燥するから、肉の味がもっとストレートに出る
…巻き寿司と押し寿司みたいなものにゃ
あ(゚∀゚) その例え、すごくわかるの
北と南の、色が違う
でね、パンチェッタにはイタリア政府が認めた「本物」が2つあるの。DOP認証っていって、産地と製法が保護されてる
…シャンパンみたいなものにゃ。シャンパーニュ地方で作ったものだけがシャンパンにゃ
そう。一つ目がパンチェッタ・ピアチェンティーナ。エミリア・ロマーニャ州のピアチェンツァっていう北の町で作られるの。ポー川の冷たい空気の中で熟成させた、巻き型のパンチェッタ。黒こしょうとクローブで味付けして、切ると渦巻きの断面がきれいなの
二つ目がパンチェッタ・ディ・カラブリア。南の果て、カラブリア州のもの。こっちは平らなテーザ型で、表面が真っ赤
…赤にゃ?
唐辛子パウダーで覆われてるの。カラブリアって南イタリアの辛いもの文化の中心地で、ンドゥイヤっていう唐辛子たっぷりの塗るサラミも有名なの
…同じパンチェッタなのに、北は黒で南は赤にゃ
面白いでしょ。同じ「豚バラの塩漬け」が、土地のスパイスで全然違うものになるの。ピアチェンツァの冷たい風と、カラブリアの太陽が、それぞれの味を作ってる
…味噌にゃ
え?
仙台の赤味噌と京都の白味噌にゃ。同じ大豆と塩で、土地と気候が味を変えるにゃ
…イタリアでも日本でも同じことが起きてる
…前にも言ったにゃ。塩があって、素材があって、季節がある土地なら、どこでも同じことが起きるにゃ
豚バラだけじゃない
で、ここからが本題なの(≧∇≦)
…まだ前置きだったにゃ
パンチェッタは豚バラの塩漬けでしょ。でもイタリアには、豚の別の部位を塩漬けにした親戚がたくさんいるの
まずグアンチャーレ。豚の頬肉を塩漬けにしたもの。「guancia」はイタリア語で「頬」。パンチェッタが「小さなお腹」なら、グアンチャーレは「大きな頬」
…カルボナーラの正統派はグアンチャーレにゃ。前に言ったにゃ
そうなの。グアンチャーレはパンチェッタより脂肪分がずっと多くて、加熱すると脂がじわーっと溶け出して、ものすごく濃厚な旨味が出るの
…頬肉にゃ。よく動く筋肉のそばの脂にゃ
そう。豚って顎の力がすごく強くて、硬いものを噛み砕いたり地面を掘ったり、頬のまわりの筋肉をよく使うの。だからそのそばの脂に旨味が溜まるの
…よく使う部位ほど味が出るにゃ。鶏のもも肉と胸肉の違いと同じにゃ
山が作るスペック
次はスペック。これは豚のもも肉を使うんだけど、面白いのは場所なの
アルト・アディジェ州。イタリアの一番北、オーストリアとの国境にある南チロル地方。ドイツ語圏なの
…イタリアなのにドイツ語にゃ?
「Speck」自体がドイツ語でベーコンって意味なの。でもスペック・アルト・アディジェは普通のベーコンとは全然違う
地中海式の「塩で漬けて風で乾かす」製法と、北欧式の「ブナの木で燻す」製法を両方やるの。塩漬けしてから、低い温度でゆっくり燻して、さらに山の冷たい空気で22週間以上乾燥させる
…南と北の融合にゃ
国境の料理って面白いの。どっちの文化にも完全には属さなくて、両方のいいとこ取りをしてる
…そういう料理は大抵おいしいにゃ
採石場の弁当
あとね、一番びっくりしたのがラルド・ディ・コロンナータ
…ラルドにゃ。脂にゃろ
そう、豚の背脂。それをトスカーナ州コロンナータっていう村で、大理石の壺に入れて熟成させるの
…大理石にゃ?
コンカっていう大理石の石槽に、背脂と塩とローズマリーとにんにくを交互に重ねて、大理石の蓋をして6ヶ月以上寝かせるの
大理石は炭酸カルシウムでできてて、内部の酸度を自然に調整して酸敗を防ぐの。ただの容器じゃなくて、大理石そのものが熟成に参加してる
…ぬか床の容器みたいなものにゃ。入れ物が味を変えるにゃ
で、ここが一番好きな話なんだけど。コロンナータって、カッラーラ大理石の採石場がある村なの。ミケランジェロの彫刻に使われた、あの白い大理石
そこで働く採石場の労働者たちは貧しくて、豚の赤身は買えなかった。代わりに安い背脂を手に入れて、まわりに生えてるローズマリーと一緒に、採石場にいくらでもある大理石で保存した
…
買えないから背脂。道具がないから大理石。それが何百年も経って、今は高級レストランで出される一品になったの
…ペペロンチーノにゃ
え?
ペペロンチーノも賄いにゃ。パスタと油と唐辛子しかない台所から生まれた「絶望のパスタ」が、今やイタリア料理の代表にゃ
貧しい人の食事が何百年かけて名前をもらって、保護認証を受けるにゃ。なかったから生まれたものが、なくしたくないものに変わるにゃ
…
まとめ
ねえ、ミコちゃん
…にゃ
一頭の豚から、パンチェッタ、グアンチャーレ、スペック、ラルド…。お腹、頬、もも、背中。部位が変わるだけで名前が変わって、土地が変わると味が変わる
でも全部、やってることは同じなの。塩をすり込んで、時間を待つ
…同じ原理が、場所と素材で別の答えを出すにゃ
ねつきが作ったのはテーザで、本場の人が見たら「ジップロックとピチットで作ったもの」で、DOP認証なんて当然ない
…にゃ
でもあれは、北海道の豚バラと、伊豆大島の塩と、札幌の冷蔵庫の中で生まれたの
…ピアチェンツァにはポー川の風があるにゃ。カラブリアには太陽と唐辛子があるにゃ。コロンナータには大理石があるにゃ
ねつきちゃんのところには、ピチットシートと…品質管理担当がいるにゃ
(〃´∪`〃)
…次は何を作るにゃ
…グアンチャーレ
…豚の頬肉にゃ。札幌で手に入るにゃ?
…まだ調べてないの
…調べてから言うにゃ
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