札幌の子は、正解だった

ねつきのトーク

今日の状況

夕方。ねつきはリビングの窓辺に立って、外を見ていた。向かいの家の駐車場で、小学生の女の子がふたり、アスファルトにしゃがみ込んで、灰色の何かで絵を描いていた。ミコは台所で、切ったばかりのキュウリを塩でもみながら、ねつきの背中を見ていた。ルナはラグの上に座って、白っぽい石を一つ、手のひらでゆっくり転がしていた。窓の外の子たちが握っている石と、ルナの手の中の石は、同じ質感で光っていた。

登場人物

  • ねつき: バーチャル妖狐。窓越しに、近所の子の遊びを眺めるのが好き
  • ミコ: 猫族のメイド。「駄菓子屋」という単語に、少しだけ、動く
  • ルナ: 白兎族。さっきから、手のひらの石を、じっと見ている

夕方のリビング。ねつきが窓辺に立ってブラインドの隙間から外を見ている。窓の外、駐車場のアスファルトに小学生ふたりがしゃがみ込んで、灰色の石で絵を描いている。淡いオレンジの西日が部屋の奥まで差している


あの子たち、軽石

ねつき
ねつき

ミコちゃん、見て。向かいの子ども、軽石でアスファルトに絵、描いてる

ミコ
ミコ

…軽石、にゃ?

ねつき
ねつき

うん。ちっちゃい白っぽい石で、ぐりぐり。線が、白く残ってる

ミコ
ミコ

…ねつきちゃん

ねつき
ねつき

うん?

ミコ
ミコ

…違うにゃ

ねつき
ねつき

違う?

ミコ
ミコ

…あれは、軽石じゃない。ロー石にゃ

ねつき
ねつき

ロー、石

ルナ
ルナ

…ろー、いし、ですですか


蝋のような、と書く

ミコ
ミコ

…蝋燭の、蝋、と書いて、石。蝋石にゃ

ねつき
ねつき

蝋のような、石

ミコ
ミコ

…肌触りが、蝋みたいに、すべすべしている。名前の由来にゃ

ルナ
ルナ

ルナ
ルナ

…ねこさん。ルナの、手の中のも、そう、ですです

ミコ
ミコ

…にゃ?

ルナ
ルナ

…指で、こすっても、粉が、あんまり、つかない。ちょっと、蝋の、感じ、ですです

ミコ
ミコ

…ルナちゃん、それ、どこで

ルナ
ルナ

…公園の、砂場の、はじっこ、ですです。落ちていました、です

ねつき
ねつき

ミコちゃん、ロー石って、正体、なんなの

ミコ
ミコ

…パイロフィライトが、主成分の、緻密な軟らかい岩にゃ。日本語だと、葉蝋石。石英や長石の火山灰が、酸性の熱水を浴びて、変わったもの

ねつき
ねつき

火山灰から、できてる

ミコ
ミコ

…にゃ。産地は、岡山県備前市の三石とか、広島県庄原市の勝光山。瀬戸内海のあたり


明治の学校、駄菓子屋

ねつき
ねつき

そのロー石、なんで、子どもの落書きに、繋がったの

ミコ
ミコ

…明治にゃ。学校教育が始まった頃、ロー石を、鉛筆みたいに削って、石筆と呼んだ。石盤の上で、字を書いた

ねつき
ねつき

…石で、書く筆

ミコ
ミコ

…炭酸カルシウムのチョークが、日本に量産されるのは、大正の末から昭和にゃ。明治の子どもは、石で書いていた

ルナ
ルナ

…学校で

ミコ
ミコ

…にゃ。それが、学校を出ても、駄菓子屋の店先に、束になって、置かれていた

ねつき
ねつき

駄菓子屋

ミコ
ミコ

…一本、数円。子どもが小遣いで買って、外に飛び出して、地面に絵を描いた。石けり、ケンパ、缶蹴りの陣地。全部、ロー石の線で、引かれていたにゃ

ねつき
ねつき

…ミコちゃん、それ、ずいぶんくわしい

ミコ
ミコ

…別に、にゃ

ねつき
ねつき

ふふ、駄菓子屋、行ってたやつ

ミコ
ミコ

…ミコの、故郷の、話にゃ

ねつき
ねつき

…あ。ごめん

ミコ
ミコ

…いいにゃ。買ったこと、ある。それだけにゃ


ケンパの、線

ルナ
ルナ

…ねこさん、ケンパ、ですですか

ミコ
ミコ

…地面に、四角と、丸を、描くにゃ。1、2、3、と数字を書いて、片足で、けんけんで、飛んでいく遊び

ねつき
ねつき

ケンケンと、パ。両足で降りるところが、パ

ミコ
ミコ

…にゃ。地方によって、名前が違う。石けり、ケンパ、ケンケンパー、ぜんぶ、同じ遊びにゃ

ルナ
ルナ

…石を、蹴る、ですですか

ミコ
ミコ

…本来は、ロー石で描いた枠のなかに、別の石を、放り込む。それを、けんけんで、順に、拾っていく。ロー石が、線と、コマ、両方を、担っていた

ねつき
ねつき

線を、引く、道具じゃなくて。遊びの、盤そのものを、地面に敷ける道具

ミコ
ミコ

…ろくむしも、缶蹴りも、Sケンも、みんな、地面に線がいる。アスファルトが黒板で、ロー石は、白墨だったにゃ

ねつき
ねつき

…アスファルトの黒板


でも、ここ札幌

ねつき
ねつき

ミコちゃん。ねつき、ひとつ、気になったの

ミコ
ミコ

…にゃ

ねつき
ねつき

ロー石の産地、瀬戸内海だよね。明治の学校の話も、駄菓子屋の話も、たぶん、本州、中心

ミコ
ミコ

…にゃ

ねつき
ねつき

でもね、ミコちゃん。ここ、札幌なの

ミコ
ミコ

…にゃ?

ねつき
ねつき

札幌の、地面の下、たぶん、本物の軽石なの

ミコ
ミコ

…にゃ?

ねつき
ねつき

四万年ぐらい前に、支笏湖のあたりで、大きい噴火があったの。支笏カルデラ、って呼ばれてる

ルナ
ルナ

…しこつ

ねつき
ねつき

そのときの軽石が、火砕流で、札幌、千歳、苫小牧、白老、って、広い範囲に、敷き詰められたの。支笏軽石流堆積物、っていう名前が、ちゃんと付いてる

ミコ
ミコ

…この、街の、下

ねつき
ねつき

うん。それだけじゃなくて、1739年——江戸中期に、樽前山が大きい噴火をしたの。そのときの降下軽石も、札幌に、降ってる。Ta-a、って呼ばれてる層

ミコ
ミコ

…二段、にゃ

ねつき
ねつき

古い方は四万年前の火砕流。新しい方は江戸時代の降下。どっちも、軽石。札幌の地面の下は、本物の軽石が、二段重ねになってる


正解だった

ルナ
ルナ

…ルナの、これ

ねつき
ねつき

うん?

ルナ
ルナ

…手の中の。公園の砂場のはじっこで、拾いました、です

ねつき
ねつき

…たぶん、ロー石じゃない。本物の軽石

ミコ
ミコ

…軽石は、多孔質、にゃ。溶岩が、泡だったまま、固まった。水に、浮く

ルナ
ルナ

…ちいさな、穴、いっぱい、あります、です

ミコ
ミコ

…蝋石は、蝋の質感、緻密で、穴は、無い。軽石は、その反対にゃ。触ったらすぐ、分かる

ねつき
ねつき

軽石も、書けるんだよね

ミコ
ミコ

…ガラス質で、脆いから、削れる。アスファルトの上でこすったら、粉になって、白く残る

ねつき
ねつき

…じゃあ、ミコちゃん。向かいの、あの子たちの手にあるの、たぶん、本物の軽石だよ

ミコ
ミコ

…ミコの、知っているロー石じゃ、なかったにゃ

ねつき
ねつき

本州の子は、ロー石を、軽石って呼んで、間違ってた。でも、札幌の子は、地面に本物の軽石が転がってるから、軽石って呼んで、正解だったの

ミコ
ミコ

…同じ言葉で、一方は間違っていて、一方は当たっていた、にゃ

ねつき
ねつき

うん。地面の下に、何が敷いてあるかで、変わるの


みっつ、ある

ルナ
ルナ

…ロー石と、軽石と、あと、チョーク、ですですか

ミコ
ミコ

…にゃ。チョークは、また別にゃ。炭酸カルシウムか、石膏。工場で作る、真っ白の棒

ねつき
ねつき

ロー石は、蝋石。工業用の、パイロフィライトから、削り出した石筆

ミコ
ミコ

…にゃ

ねつき
ねつき

軽石は、火山の、泡の化石。溶岩が、ぶわっと、膨らんだまま、固まったやつ

ルナ
ルナ

…みっつ、まったく、別、ですです

ねつき
ねつき

別なのに、アスファルトの上に、線を引く、って一点だけ、揃うの

ミコ
ミコ

…柔らかくて、削れるもの。子どもの手の、力で、粉になるもの、にゃ

ねつき
ねつき

それで、白く見えるもの。三つの条件が、揃えばいい。石の名前は、二の次で

博物図鑑のような比較図版。左に明治期の駄菓子屋の店先、束になった灰色のロー石(石筆)。中央に樽前山を背景にした本物の軽石、多孔質の断面。右に工場で作られた白いチョークの棒。三つの下に、それぞれ「蝋石」「軽石」「チョーク」とラベル。全体に薄い黄ばみと手書きの書き込み


お兄ちゃんの、記憶

ねつき
ねつき

…ねつき、お兄ちゃんに、聞いてみる

ミコ
ミコ

…にゃ?

ねつき
ねつき

「お兄ちゃんが、子どもの頃、道路に絵を描いてた石、あれは、なんて呼んでた?」って

ミコ
ミコ

ねつき
ねつき

…返事、来た

ミコ
ミコ

…にゃ?

ねつき
ねつき

「軽石」って

ミコ
ミコ

ねつき
ねつき

「拾って、こすって、白い線引いてた。名前、なんて、確かめたこと、なかったな」って

ルナ
ルナ

…確かめて、いなかった

ねつき
ねつき

うん。でも、たぶん、それで、合ってたの

ミコ
ミコ

…この街の、下は、軽石にゃ

ねつき
ねつき

うん。四万年前の噴火と、江戸時代の噴火が、二段に敷いてくれた、本物の軽石


ルナが、手の中の白い石を、ラグの上にそっと置いた。窓の外の子どもたちは、絵を描き終わって、アスファルトに大きな片足飛びのマスを、いくつも並べていた。線は少しかすれて、白かった。ミコが、切ったキュウリを、ボウルから小鉢に移した。ミコの故郷では、たぶん、蝋石のほうだった。ねつきは窓を閉めた。


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