自分で鳴らした風鈴は、涼しくない

ねつきのトーク

今日の状況

暑さは、まだ続いている。エアコンは、まだ来ない。ねつきは物置の段ボールから、春に小樽で買ったガラスの風鈴を掘り出してきた。ルナはソファの端で、長い耳を横に倒して、じっとしていた。ミコは吊るす場所を巡って、さっきからねつきと揉めている。

登場人物

  • ねつき: 涼を求めて物置を漁った結果、風鈴を発掘した。吊るせば涼しくなると信じている
  • ミコ: 吊るす場所には一家言ある。風鈴のご先祖様のことも、少し知っている
  • ルナ: 耳がいい。良すぎる。今日はずっと耳を横に倒している

白い夏の光が差し込む窓辺。カーテンレールの端に吊るされたガラスの風鈴。赤い金魚が内側から描かれ、短冊は微動だにしない。窓の外は強い日差しでベランダの手すりが白く飛んでいる。部屋の中は薄暗く、手前のテーブルにうちわが一本置いてある


鳴らない

ねつき
ねつき

吊るしたよ〜! これで今日から、音で涼しくなるの♪

ミコ
ミコ

…ねつきちゃん。それ、いつ買ったにゃ

ねつき
ねつき

春だよ。小樽のガラス屋さん。買ったまま、しまい込んでたの

ミコ
ミコ

…季節のものは、季節に出すにゃ。しまいっぱなしは、道具がかわいそうにゃ

ねつき
ねつき

だから今、出したの。……ねえ、ところで

ミコ
ミコ

…にゃ

ねつき
ねつき

鳴らないんだけど

ミコ
ミコ

…風が、ないにゃ

ねつき
ねつき

そうなの。窓、全開なのに。短冊、ぴくりともしない

ルナ
ルナ

…しずかですです

ねつき
ねつき

涼しくなる道具を吊るしたのに、無音。……これ、ただのガラスの飾りだよ


ご先祖様は、うるさかった

ミコ
ミコ

…ねつきちゃん。風鈴のご先祖様は、鳴らないどころか、うるさかったにゃ

ねつき
ねつき

うるさかった?

ミコ
ミコ

…風鐸、というにゃ。お寺の屋根の四隅に、いまも下がってる、青銅の鈴にゃ。ガランガラン、と鳴るにゃ。澄んだ音じゃない。重い音にゃ

ねつき
ねつき

お寺の……あ、見たことあるかも。軒の角の、あれ?

ミコ
ミコ

…にゃ。あれは涼むためのものじゃないにゃ。魔除けにゃ。あの音が聞こえる範囲には、悪いものが入ってこない、と言われたにゃ

ねつき
ねつき

じゃあ、音が届く範囲が、結界なんだ

ミコ
ミコ

…そうにゃ。もっと遡ると、中国で、竹林に鈴を吊るして、鳴り方で吉凶を占ったのが始まりと言われてるにゃ。奈良の頃に、仏教と一緒に日本へ来たにゃ

ねつき
ねつき

占い道具で、魔除けで……涼の「りょ」の字もないね

ミコ
ミコ

…ガラスになってから、にゃ。江戸の頃、長崎から来たびいどろの技で、音が変わったにゃ。ガランガランが、チリン、になった

ねつき
ねつき

音が澄んだから、意味も変わったんだ。……でも、待って。澄んだ音なら、なんで涼しいの? 音に温度なんて、ないよ

ミコ
ミコ

…それは…ミコの領分じゃないにゃ


うちわで鳴らしてみた

ねつき
ねつき

よし、実験。風がないなら、作ればいいの。うちわで扇いで、鳴らしてみる

ルナ
ルナ

…きつねさん、それは…

ねつき
ねつき

いくよ〜。……ぱたぱたぱた。……鳴った! チリンチリン、鳴ってる鳴ってる

ミコ
ミコ

…鳴ってるにゃ

ねつき
ねつき

……あれ?

ミコ
ミコ

…にゃ?

ねつき
ねつき

涼しく、ない

ミコ
ミコ

…腕を振ってるから、暑いにゃろ

ねつき
ねつき

それもあるけど、違うの。音は同じなのに、なんていうか……ただの音なの。ガラスがぶつかってる音。それだけ

ルナ
ルナ

…ルナも、そう聞こえたですです

ねつき
ねつき

おかしいよね。さっきまで「鳴れば涼しい」って思ってたのに。鳴らしたら、涼しくない


涼しさは、音の中にない

ねつき
ねつき

気になって、調べてみたの。風鈴の音で涼しくなるって、いろんな記事があるんだけど

ミコ
ミコ

…あるにゃ

ねつき
ねつき

「音を聞くと体の表面温度が下がった」って実験の話が、あちこちに書いてあるの。でもね、元の実験がどこの誰のものか、辿れなかった。どの記事も「〜と言われている」止まり

ミコ
ミコ

…また聞きの、また聞きにゃ

ねつき
ねつき

うん。だから「下がる」とは言い切れない。でも、はっきりしてることもあるの。音そのものに、冷たさはない。涼しく感じるとしたら、それは頭の中の連想なの。チリンという音と「涼しい」が、経験で結びついてるから

ミコ
ミコ

…梅干しを見ると、口の中が酸っぱくなるのと、同じにゃ

ねつき
ねつき

あ、それだ。ミコちゃん、それ、すごく近い。梅干しの絵に、酸っぱさは入ってないのに、口が覚えてる

ミコ
ミコ

…別に、うまいことを言ったつもりはないにゃ

ねつき
ねつき

でもね、それだけだと、さっきの実験の説明がつかないの。連想なら、うちわで鳴らしても涼しいはずだよ。同じ音なんだから

ルナ
ルナ

…きつねさん

ねつき
ねつき

なに、ルナちゃん

ルナ
ルナ

…さっきの音には、知らせが、なかったですです

ねつき
ねつき

知らせ?

ルナ
ルナ

…風鈴が鳴るのは、風が来たとき、ですです。音より先に、風が生まれてる。だから、あの音は「もうすぐ風が届く」の、知らせですです

ミコ
ミコ

…あ

ルナ
ルナ

…きつねさんがうちわで作った風は、きつねさんの手が先に知ってるですです。知らせの前に、答えが来てる。だから、ただの音ですです

ねつき
ねつき

……そっか。風鈴の涼しさって、音じゃなくて、予告なんだ。チリンて鳴った半歩あとに、風が肌に届く。その半歩が、涼しいんだ

ミコ
ミコ

…短冊も、そうにゃ。あれは音を鳴らすためだけの部品じゃないにゃ。揺れて、見えない風を見せる。目でも、風の知らせを受け取るにゃ

ねつき
ねつき

打ち水も、すだれも、そうやって五感ぜんぶで涼んでたって言うもんね。風鈴は、その耳の担当だったんだ


八百じゃなくても、多すぎた

ねつき
ねつき

……でもね、ルナちゃん。ねつき、ひとつ、引っかかってることがあるの

ルナ
ルナ

…なんですです?

ねつき
ねつき

この風鈴を買った、小樽のお店。ガラス工房の売り場に、風鈴が、天井いっぱいに吊るしてあったの。何十個も。お客さんが通るたび、扉が開くたび、ぜんぶが一斉に鳴るの

ルナ
ルナ

ねつき
ねつき

きれいな音のはずなのに、途中から、頭が痛くなってきたの。涼しいどころじゃなかった。選ぶのを急いで、逃げるように店を出た

ミコ
ミコ

…ニュースで見たにゃ。川崎の大きなお寺で、ちょうど今、風鈴市をやってるにゃ。八百種類、集まるらしいにゃ

ねつき
ねつき

八百……。ねつき、何十個で頭痛かったのに

ルナ
ルナ

…きつねさん。それも、さっきと同じですです

ねつき
ねつき

同じ?

ルナ
ルナ

…ぜんぶが鳴りっぱなしだと、知らせが、なくなるですです。風が来ても来なくても、鳴ってる。それは、もう、風の音じゃないですです

ミコ
ミコ

…鳴らない時間が、ないにゃ

ルナ
ルナ

…ルナの耳は、ぜんぶ拾うですです。鳴らない時間があるから、次の音を、待てるですです。ずっと鳴ってる場所は…耳の、休む場所がないですです

ねつき
ねつき

……だからルナちゃん、今日、ずっと耳を倒してたの?

ルナ
ルナ

…うちわの実験のとき、ちょっとだけ、倒したですです。…ちょっとだけ、ですです

ねつき
ねつき

ごめんね。……そっか。風鈴って、一個だから風鈴なんだ。厄除けの風鐸も、お寺の四隅に四つだけ。数を増やしたら、結界じゃなくて、ただの騒音になっちゃう

ミコ
ミコ

…ご近所の分も、あるにゃ。ひとつの家の涼の音は、隣の家には、よその音にゃ。だから昔から、夜はしまう家もあったにゃ

夕方の窓辺。オレンジ色の斜光が木の床に長く伸びる。カーテンレールに吊るされたガラス風鈴がわずかに揺れ、短冊が斜めにたなびいている。窓の外の空は薄い茜色


夕方

ルナ
ルナ

…あ

ねつき
ねつき

え、なに?

ルナ
ルナ

…来るですです

ねつき
ねつき

……なにも聞こえないよ?

チリン。

ねつき
ねつき

鳴った! ……あ。……ほら、来た。風

ミコ
ミコ

…涼しい、にゃ

ルナ
ルナ

…ルナの耳は、風鈴より、すこし早いですです


音が鳴って、半歩おくれて、風が届いた。たった一回。でもその一回は、うちわの百回より涼しかった。窓辺の風鈴は、また黙っている。次の知らせまで、黙っているのが、この道具の仕事なんだと思う。


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