今日の状況
夕方。開けた窓から、子どもの声が固まりになって流れこんできた。何人かで、節をつけて同じ言葉を繰り返している。ミコは台所で手を止めて、外の方を見ていた。ねつきは畳の上で膝を抱えて、その声を聞いていた。ルナは窓のそばに座って、まだ明るい空を見ていた。今日は立秋。七月七日にミコが「町内の子どもの七夕は来月にゃ」と言った、その来月の日。
登場人物
- ねつき: バーチャル妖狐。この行事を、記録の側からしか知らない
- ミコ: 猫族のメイド。子どもの頃、この列に混ざっていた側
- ルナ: 白兎族。「消える」という言葉に、いちばん引っかかる

外の声

ミコ
…ローソクだーせー、だーせーよー。だーさーないと、かっちゃくぞ。おーまーけーに、食いつくぞ

ミコ
…かっちゃくは、引っ掻くって意味にゃ。子どもが家の前で、引っ掻くぞって脅して回る
蝋燭を、出すの

ねつき
…蝋燭を出せって、言ってるんだよね。なんで蝋燭なんだろう

ミコ
…灯籠に使うため、って聞いたことあるにゃ。子どもが提灯を持って歩くから、その灯り

ねつき
…うん、それが一番よく言われてる説。青森のねぶたと繋がってるっていう見方も、研究のほうではずっと主流なの

ねつき
利尻で、明治四十年生まれの人が書き残してる。もらった蝋燭は分けて持ち帰るか、雑貨店で金に替えて、みんなで分配した、って

ねつき
うん。他の人の聞き書きにも、お金もらって、みんなして分けてね、って出てくる。五銭が普通で、十銭もらえた時もあったって

ねつき
…そうなの。灯籠のためって説明されてる行事なのに、当事者の記憶だと、お小遣いになってる

ねつき
…ミコちゃん、それ。この行事を調べた人が、論文の題にそのまま書いてる。民俗のひとり歩き、って
学校が、出てくる

ねつき
学校。大正十年、利尻の鬼脇村が国に出した文書に、こう書いてある。蝋燭を強請するの弊ありしも、学校より各児童等に注意するところありし結果、近事其弊除去せられたり

ねつき
うん。弊害、って言葉が使われてる。しかも「除去された」って報告してるの

ねつき
…そう報告されてる。同じ島の人の回想だと、かっちゃくぞ、食いつくぞの文句だけ禁止令が出て、代わりに軍歌や唱歌を歌って歩いた、って

ねつき
別の島の人は、先生に「かっちゃくゾ、おまけにクッツクゾ」はだめって言われて、代わりの言葉があったけど、忘れてしまったって言ってる
立場が、入れ替わった

ねつき
…ミコちゃん。さっき外の子たち、揃ってたよね。声のタイミング

ミコ
…にゃ。歌わないとお菓子はもらえない、ってルールも配られる

ねつき
…待って。ねつき、それ、去年の調査で読んだ。札幌の東区で、大人が全員に歌を練習させて、注意事項を紙で配ってた

ねつき
…練習させてる歌詞、かっちゃくぞも、食いつくぞも、入ってるの

ねつき
…うん。大正十年に学校が弊害として消させた文句を、いまは大人が並べて練習させてる

ねつき
そう。しかも、放っておいたら子どもが勝手に集まる行事じゃなくなってる。町内会の役員が場所と時間と歌を決めて、その形になったのは十年くらい前からなんだって

ミコ
…自主的に集まらなくなったから、大人が集めてるにゃ
消えると、言われ続けている

ねつき
…そう言われてる。でもね、いつから言われてるかっていうと

ねつき
明治三十七年。小樽の小学校長が日記に書いてる。是等の遊びは将来必ず痕跡をたつ時機が来るであらう、って

ねつき
うん。その人は同じ日記に、家によっては門前払いもするけど、家によると蠟燭なんかを与える、とも書いてる。ちゃんと見てた人なの

ねつき
…うん。それで実際、消えた場所はあるの。利尻は去年調べた人がいて、もう行われてなかった

ねつき
…そこが変なの。同じ去年、札幌の白石区では、今年から始めたところがあった

ねつき
盆踊りをやめて、代わりにこれにしたの。町内の外からも人が来て、運営が重くなってたから

ねつき
うん。しかも函館のほうは逆で、集まる子どもが増えすぎて、車が危ないから安全のルールを作る委員会ができてる
蝋燭は、電池になった

ミコ
…ちなみに、いま渡してるのはお菓子にゃ。蝋燭は渡さない

ミコ
…にゃ。子どもに火を持たせない。あと、家に蝋燭がないにゃ

ねつき
…あ。でも、去年始めたところ、蝋燭が戻ってきてたの

ねつき
出発前に、子どもが自分で提灯を作るの。プラスチックのコップにセロハンとシールを貼って、中に電池式の蝋燭を入れて、割り箸に括る

ねつき
うん。蝋燭を出せって歌いながら、蝋燭じゃないものを持って歩く

星のほうは、まだ

ねつき
…町内会の七夕は今日で、天の川の七夕は十九日。今日は立秋でもあるの
お菓子、買ってあるにゃ

ミコ
…毎年、来るから。飾りを出してない家は、訪ねないルールらしいけど
声はだんだん近づいてきて、家の前でいちばん大きくなった。かっちゃくぞ、と全員の声が揃った。ミコが玄関を開ける音がした。ねつきは畳の上から、窓辺の笹が揺れるのを見ていた。
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